report_1_diar//『鍵』

FDファイバー・ディスプレイ¹に映った名指しの会議招待通知を承認すると、一瞬鼻の奥がツンとして、次の瞬間にはもう『部屋』の中に招かれていた。
「承認ご苦労、座りたまえ」
急激な粒素濃度の上昇に、あふれた涙で視界がぼやけている。
慌てて手の甲で拭って、ようやく『部屋』の構造を理解できた。
壁一面に巨大なFDが張られた、うちのリビング程度の大きさの部屋。
ちょうど俺の目の前には何も乗っていないガラステーブルと、テーブルをはさんで高そうな椅子が二つ。
そして俺を呼び出した相手は、もう会話の席に着こうとしている。
俺は濡れた部分を背中で拭いて、すぐに近くの椅子に座った。尻尾を背中から引き出してる間に、相手のドレス裾が重ための弧を描いて腿の下に敷かれた。
「プライベート・ルームは初めてのようだが、酔いはなさそうだな。では、このまま本題に入らせてもらう」
俺は目元に残った涙を指で払い、背筋を伸ばす。
目の前の椅子にどっしりと構えているのはBTAブルーリボン貿易連合の創立者でありながら、数々の違法行為の裏で手を引く大物、そして俺たちの直属の上司であり招待を送ってきた船――”蘇った焚刑者”バーンド・レント。
顔全体に物々しく撒かれた包帯の隙間から除く、船特有の赤い視線が俺を刺す。
「フィンの消息、ですか」
「そうだ。お前たちAMSSアフターマンシップスに【デキマ】を与えたのは正解だったな。追跡成功だ。座標情報もしっかり取得できた」
バーンド・レントが両手の指を組み、座りなおす。
同時に、彼船ゼアシップ²の背面に見慣れた金色が映りこむ。
思わず呼びかけそうになったが、画面はすぐにずんぐりした無人運転車両に切り替わった。
声を飲み込んで映像を注視する。
輸送用と思われる車両には、もう何人か、もしくは何隻かが乗り込んでいるようだった。
「リバースターム・エンジンにより解析再現された、消失地点よりも北の痕跡と思われる映像だ。車両はうちも輸送に使っているタイプだが、型番が古い。おおかた『郊外』のレストア品だろう」
「つまり、既存の運搬ルートには沿ってない、ってことですか」
「話が早くて助かるな。流石はヴェールヌイ博士の養い子といったところか」
灼けた声が親父の屋号を持ち出すので、思わず尻尾の毛が逆立つ。
ヴェールヌイ――本船名:響――親父は著名な亜人研究者とは聞いてたけど、そのせいで起こったことが俺の中に恐怖として深く食い込んでいる。
いくら得体が知れなくても、今は自分の雇用主の前――俺は自分に言い聞かせて、水をかぶったときみたいに小さく身震いしてから、心中を悟られないように姿勢を正した。
目の前の大物は子犬でも見るように目を細めて、ふふ、と鼻にかかった笑みをこぼす。
「余計な話をしてしまったようだな。本題に戻ろう。車両の行先を繋げた結果、向かうであろう場所が見えた」
簡略化された南米大陸が表示され、黄色い点がぽつぽつと置かれていく。最後の点が打ち終わると、点同士を同じ色の線が結んだ。
「北に向かってる……」
「おそらく、最終地点は『カリブ海』だ」
耳慣れない単語に俺は口をつぐむ。少し考えて、おそるおそる尋ねる。
「すみません。カリブ海、っていうのは」
「北米と南米の間、小島があるだろう。あのあたりを昔は『カリブ海』と呼んでいたのさ」
言われた場所を見ると、殆ど同じタイミングで赤い丸が描きこまれた。アルゼンチンに滞在していたことはあるし、地図は見慣れていたはずだ。
何より赤道から上は大きく「北半球凍結地帯」としか書かれていなかった記憶がある。もしかしたら粉一粒ぐらいの小ささで書かれていたかもしれないが、今の俺たちには馴染みがない場所であることはすぐわかった。
「あいつに関係する何かがあるんですか?その、カリブ海には」
聞いた後、俺は少し食い気味だったかな、と気まずくなった。バーンド・レントは何も言わず立ち上がり、椅子の背に手を置いてディスプレイに向き合う。
「しいて言えば……『鍵』だ」
「『鍵』……なんのですか」
「世界をブッ壊すための、とでも言っておくか」
俺に振り返る彼船の包帯の下から、爛れた外皮が覗く。
直感的に、ものすごく嫌なものが腹の中に溜まるのがわかった。


¹ファイバー・ディスプレイ:
粒素繊維で編み込んだ布を使ったディスプレイ。
旧来の液晶やエアリアル・ディスプレイに代わり6000年代より台頭。
投影機と使わずとも直接粒素を操作すれば利用可能。繰り返し洗って使える。

²ゼアシップ:
船に対する三人称。二人称は「ユアシップ」。
その複雑な自認性から2030年代あたりにLGBT活動家を通して広まった。
8350年現在は「船」のみを刺す専用語として使用されている。