「すまない、手を借りたいんだが」
「あ、届かないんですか」
小型艦用ステップの上で背伸びをするマルの横から響が手を伸ばし、マグカップを掴む。
カップは少し奥まった場所に掛けられており、マルの腕では絶妙に届かない場所にあった。
とはいえ、響もステップの上に乗らないと腕の長さは足りない。
「すみません、このフック最後に使ったの私です。うっかり奥の方にやってしまって」
「いや、いい。今までこの台でなんとかやれてたのが不思議だろう。シドニーは家も家具もでかい。そのうち買い変えよう」
マルはカップを受け取ると台を降り、後方にある収納キャスターの、中段に置かれたポットから湯を注いだ。
マルよりも大きい移動収納は、中段と下段に物がぎっしり詰め込まれている。一方、踏み台が必要な上段はすかすかだ。南極から持ってきたペンギン用の小型家具ではあるが、それでも1歳児程度の大きさしかないマルからすれば手が届かない場所がある。それ以上に大きい嵌合種用となると、もはや巨人の国の調度品だ。
「ディアが出る前に、下ろしてもらわないといけない物、たくさんありますね」
「アルバに取らせればいいだろう。棚上の掃除もやってる」
「そのアルバが充電中だったら、もう私たちは飲みたいときにドリップでコーヒーを淹れられなくなるし、クッキー缶の賞味期限もわからなくなるんですよ」
「うむ、そうか……」
マルはスティック袋の端をちぎり、粉末ラテを入れながら部屋角を見やる。
アルバと呼ばれた自動掃除機は赤いランプを点滅させながら、ベースの上で充電中だ。
「そういえば、ディアが出るのはもうすぐだったか」
「そうです。会長と直接会議した後、俺も捜索に行くって……今日は装備のフィットにいったみたいだし、もう何日かしたら集合がかかるって連絡が」
響も自分のマグカップを取り、マルと同じラテを作りはじめる。
「互いに、大変な息子を持ったものだな」
「手がかかって可愛い子ですよ。それに、今みたいな事態にならなかったとして、二人ともいずれ親元は離れるでしょう」
「フィンは……どうだろうな。あいつは他人のことを心配しすぎるから」
「案外、我々の知らないところでしっかり一人立ちしようとするもんですよ。子供は」
ふうっと湯気を吹き、響はラテに口をつける。
マルは別のキャスターにカップを乗せ、そのままソファの方へ押していく。
オットマンを足場にしてソファによじ登り、腰を落ち着けてからようやく、カップの中身を味わうことができた。
一息ついていると、玄関からチャイムが響く。
「出ますね」
立ち上がろうとする前に、響が居間側のステップを持ち上げる。
壁のインターホンカメラの前に置くと、軽やかに飛び乗って応対ボタンを押した。
ファイバー・ディスプレイにはくせ毛のアジア系女性が手前に、何かしら巨大な生き物が奥に映る。彼女はカメラ越しにこちらを伺いながら、後ろの生き物の様子に気を配っている。
「あ、どうも」
「ダニエルさん、こんにちは。遊びに来られるなんて珍しいですね」
「あ、それなんですけど。話っていってない感じ……ですか?」
ダニエルと呼ばれた女は不器用な愛想笑いをつくる。
「マルさん、ダニエルさんから何か連絡きてた?」
響はモニターから振り返り、マルに声を張り上げる。
マルはラテを飲み干し、瞬きする間にエーテルネットに接続してブルーリボンからの連絡網を数日分洗い出す。
会社宛。特になし。
自分宛。特になし。
フィン宛。特になし。
ディア宛。ダニエルと何かやり取りした痕跡あり。
「響、そっちに来てるんじゃないか」
「えっ、あー……来てる……最近チェックしてなかったや、忙しくて」
えへへ……と誤魔化すように笑う響。
彼船はブルーリボンの所属ではないので、マルが連絡網を管理していることはない。
加えて響はやや『アナログ派』の気があり、普段からしばしばディアにエーテルネットへの接続と連絡網チェックを促されていた。ダニエルも恐らくそれを見越して、わざわざ尋ねてきたのだろう。
「あの、【ヘルパー雇用の検討】ってやつですよね。ダニエルさんがいってる連絡って」
「既読つかないからディアくんから聞いてるかと思ったけど、来て正解だった……詳細長くなりそうなんで、中入ってもいいですか?」
「マルさん、中、いいですよね?」
「うむ」
マルは短く返す。
「連れも入っていいぞ」
「あ、いや。こいつは汚すかもしれないんで外置いときますよ」
「どうせ加賀だろう。事情はわかってるから一緒に入ればいい。そもそも顔見知りしかいないだろう、ここには」
「あー、そうか。すいません。お邪魔します」
ダニエルがカメラから遠ざかり、「ほら」とか「中入るぞ」と言いながら足元に横になっている大きい何かを足で小突く。それがもぞもぞしながら立ち上がると、ダニエルの身長の2倍以上はある人型となった。
響が玄関に客人を迎えに行ってる間に、マルはソファから飛び降り、ポットの湯を沸かしなおす。
ラテのスティックは残り本数が心もとない。
せっかくだから、棚上のドリップを取ってもらうことにするか。久しぶりに茶菓子も出そう。
マルはそう考えながら、マグカップをとるためにステップを持ち上げた。
歩幅が狭いので、辿り着く前に客人は居間に入った。